私が高次存在と交流するまでの経緯と、その日々の対話

諸事情で、およそ一ヶ月ぶりの記事になってしまったので、今回は、高次存在の話をメインに綴りたいと思います。

どうやって、私は高次存在から、具体的な世界の話、運命の話、それを超える方法まで聞けるほど、コミュニケーションを取れるようになったか?

その経緯でも、あらためてお話したいと思います。

出会い

あれは今から25年ほど前――。

私がまだ中学生のころ、いわゆる『アートマンとブラフマンが一体化する』体験をしました。

とくに何か修行やスピリチュアル的なことをしていたわけではなくて、本当に、突然の体験でした。

自身の内側の奥深くにある宇宙が、世界を包み込んでいる宇宙と繋がっていて、同じものであるという体験です。

それは愛そのものであり、白銀色の光でした。

空間そのものが白銀色の光に包まれて、愛そのものに包まれました。

そのときから、インスピレーション的にメッセージを受け取ることができるようになりました。

それは言葉のときも、イメージのときも、白昼夢のときもありました。

カラスの訪問

このような神秘体験をした私のもとに、カラスが幾度も訪ねてくるようになりました。

私が部屋の中にいると、窓ガラスを何度も叩くのです。
部屋を移動しても、そのカラスがついてきて、窓ガラスをコンコンと叩きます。

当時、子供だった私は怖くて、親が追い払ってくれました。

しかし、あとになって思えば、それはヤタガラスの訪れのようでした。

日本の神秘家さんの中には、ヤタガラスが来たエピソードを持たれる方がいらっしゃいますよね。
多分にもれずに、私もそうだったのでしょう。

他の神秘家さんの話から推測すると、「あなたには神的な使命がある」というサインだったのでしょう。

ただ、致命的なのが、私がオカルティストではなかったことと、特別な使命に一切の興味が無かったことですね。

太陽を選んだ話

ということで私は、自身の神秘体験を口外しませんでした。
他人にその話をすることに対して、ただただ興味が無かったからです。

あれは何の夢だったか――具体的には覚えていませんけれども、
あるとき、印象的な夢をみました。

宗教家のおじさんのような姿をした神様が、二冊の本を持ってきて、「どちらかを選びなさい」と提案したきたのです。

一冊は『太陽の書』、もう一冊は『月の書』でした。

聞くと、神様はこう言いました。

「太陽の書には、世界の秘密が書いてある。これを選ぶと、世界のすべてを知ることができる。月の書には、霊性の秘密が書いてある。これを選ぶと、超能力が身につく」

私は、超能力には興味がありませんでした。
それよりも、世界のことを知りたかったから、『太陽の書』を選びました。

夢はここでおしまいでした。

勉強させてもらう日々

それからだったでしょうか。

毎晩のように夢の中で、いろいろな神様、神官、天使、神主、巫女といった存在が出てきて、色んな話を聞かせてくれるようになりました。
夢ばかりか、時には白昼夢でも、イメージやビジョンが降りてくるようになりました。

それだけでなく、現実世界でも、スピリチュアル関係で欲しい知識があると、なんとなく、その本が手に入ることが、まま起こりました。

そういうことで、私の手元には、どうやって行き着いたかわからない本が幾らか存在します。

おかげで(神様のおかげだと私は思っています)自分自身の人生は、だいぶ良いものになっていると思います。

ただひとつの呪い

しかし、それと引き換え――というわけではないと思いますが、『呪い』と呼びたくなる制約が私自身には、まとわりついています。

実際には、呪いというよりも『過保護』が正確なのかもしれませんが。

私は徹底して、他者と縁付くことができないのです。
神様に認められた人としか繋がることができません。

そうでない人とか、職場とか。そういった場所は、ちょうど半年ピッタリか、1年ピッタリで縁が切れるようになっています。

それでも無理をして誰かと繋がりを持とう、社会的な役割を持とうと足掻く度に、ひどい目に合ってきました。

例えば対人なら、良いなと思った人ができても、なぜか必ず膝から下を切断する事故に遭って疎遠になる。(三人目で諦めました)

仕事を始めても、いつも決まって業界随一と言われる過酷な場所で、さらには、事情ができて辞めざるを得なくなる・原因不明の解雇・会社が事件になる等して、つながりを経たれます。

孤独の先にあったもの

「誰とも繋がることができないんだ」と諦めた私は、社会的なつながりを持つことを断念しました。

でも、どうしても孤独は消えません。

――目に見える存在がダメなら、目に見えない存在と友達になればいいのでは?

そう思い立って、ふと、そういえば、度々話しかけてくる存在があったな。と思い出したので、それに話しかけてみると――。

『やっと声を掛けてくれた』『ずっと待っていた』と言われました。

私はその存在に、私なりのイメージによる姿や声を与えました。

このようにして、言葉でもコミュニケーションが取れるようになったのです。

これは思いがけない良い効果がありました。

これまではビジョンだけがメインだっため、わかりにくいものや抽象的なものが、ままありました。

しかし、姿や声を与えることで、ビジョンにプラスアルファで言葉を使うとか、わからなかった部分も、「もっと詳しく教えて」が通用するようになったのです。

こうして私は、高次存在と、コミュニケーションを取っています。

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