今日は、なぜ私がこのような発信を行っているか? のお話をしようと思います。
メッセンジャーではない私
ハッキリと言いますが、私自身は、メッセンジャーではありません。
だから、自分から積極的に広めたり、他者と結びつくのがとても苦手です。
他の記事でも書いたことがありますが、むしろ私自身は他者との縁が結びつかないようになっています。
ただ、私の役割はひとつだけあって、それは神様の、その特有の『愛』というものを、誰にでも感じることができる形にすることです。
そのためには、できることがきっと色々とあると思います。
でも、今のところはどうやったらそれが実現できるか模索中です。
しかし模索することも私自身の課題なのです。
自身のガイド(高次存在)からは、「ガイドの言葉を借りないように、自身の言葉で伝えるようにしなさい」と言われています。
だから私は、高次存在から得た知識を書くときも、高次存在から降ろされた『言葉』という形式では、書かないのです。
そして、このような発信も、この模索の一部です。
商業主義ではない高次存在
実は、個人的に思っていることがあります。
それは、高次存在が本当はどういう存在かを知ってほしいなということです。
いま、商業主義的なスピリチュアルがまん延しすぎていて、本当に高次存在の言葉を届けられる人々が埋もれているように感じられます。
また、そのせいで、高次存在や宇宙意識に対する誤解が広がっているとも感じています。
インターネットの構造上、キャッチーだったり、アフィリエイトがより巧みな情報ほど、爆発的に広がるようにできています。
でもその結果、誤解が生まれているように思います。
断言してくれる存在、依存を促すような存在、明確な答えをくれる存在。
正義感や特別感をくれる存在。
これらが商業的に都合が良いからでしょうか?
このような高次存在像を語る人が、あまりにも多すぎるのではないかと感じています。
本当は、そういう存在ではありません。
私が知る限り、宇宙意識に限りなく近い意識を持つ彼らですから、裁かないし、否定しません。本人が気付くのを促すことはあっても、答えを用意することはありません。
包み込むように見守る存在です。
広がりにくい理由
でも、このような高次存在的な思考や感覚が広がりにくい理由も、わからなくもありません。
いちがいに商業主義が悪いからだけだとは言えないと思います。
なぜなら、その存在そのものが、どうしても、決して人間心理を突くわけではないからです。
感情や欲求を煽りません。
むしろ激情とは距離があります。
それに、彼らとコミュニケーションを取るためには、賑やかさや刺激的なものから離れなくてはならないし、静けさが必要となってきます。
ようするに、人間が好むものとは異なるということです。
だから、どうしても好まれにくさがあるのだろうなと思います。
彼らの残したものは消えやすい
どうして、人間社会から、彼ら高次存在の残したものは消えやすいのか?
その理由は、わかる気がします。
先の項目でも述べたような、人間が好むものではないからという理由以外にもう一つあると思います。
それは人間の感覚とは違っているからです。
彼らは人間社会の中で生きる人間ではありません。
ですから当たり前ではあるのですが、樹木や地球や雲や風が決して人間のルール通りではないのと同じように、人にはない視点を持っています。
だから、多数派の人間にとって理解ができなかったりもするのです。
そのせいで、この地球に、定期的に思考や感覚を置いていったとしても、時の流れとともに自然と人間的なものに変化してしまうのだと思います。
理解できないそれが、理解されやすい形に変化してしまうからです。
でもそれは、人が人である以上、抗えない必然なのだと思います。
だからこそ、ひとりでも高次存在や宇宙意識を知っている人が、彼らから教わったことを話すのは、必要なことなんじゃないかなと思います。
メッセンジャーではないけれど、こうして、私がここに書き記す理由のひとつですね。
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