誰でも実践できるスピリチュアル
私は、誰でも実践できるスピリチュアルを目指しています。
これが最終目標といっても過言ではありません。
スピリチュアル――否、正確には、神秘体験をする、瞑想体験をする、高次存在と繋がる、意識をチェンジさせる。
これらというのは誰でも経験できるものではなくて、特別な人しか体験できないものだと思われがちなのではないでしょうか?
正直な話、いわゆる『神縁』というものもあって、神様のような神秘的なものと繋がるには、縁が必要になることは事実です。
それでも、誰でも体験しやすい状態、意識をシフトしやすい状態、そういった状態に持っていくことは可能だと思っています。
難しい理屈とか説明とか、そういうのを抜きに、空間や感覚で、そのように持っていくのです。
理屈の場所
私はシャンカラノートの方で、『難しい理屈』に該当するものについては、書き溜めていっています。
これは、高次存在から得た知識や智慧を言語化したもので、誰でも日常生活で実践していける形になるようにと思って、基礎知識のようなものを、コツコツと体系化するかのように書き溜めていっています。
ですが、これは本質ではないとも思っています。
否、恐らく、ここに書かれたものを正しく理解して実践できれば、間違いなく最終的には、宇宙意識と一体化することはできると思います。
そのための方法を理屈から書いているわけですから。
でも、高次存在、宇宙意識、そういったものというのは本来なら言語ではありません。それらは言語を超えた存在です。
そこにある空気、感覚、そういうものに宿っており、また、そういうものを経由して感知できる存在です。
だからこそ、本当なら空気や感覚を通じて、彼らをより受け取りやすい感覚へ研ぎ澄ませていくのに恰好な環境というのがベストだと思うのです。
人間は言語だけではない
根本的に、人間というのは言語だけの存在ではありません。
実際には、味覚、聴覚、触覚、嗅覚、視覚という五感を持っています。
これらの五感をすべて揃えていない人も、あるいは、それ以外の感覚を持つという人も居ると思います。
とはいえ、多数派だけを見ても、この五感を持つ人が最多ではないでしょうか?
このように、言語よりもずっと広く多彩な感覚器官によって世界を捉えた存在でることは間違いありません。
だからこそ、言語だけをもってして理解できるものというのは、本質的には存在しないと思うのです。
実際には、五感のすべてからアプローチするのがベストだと思うのです。
感覚の場所
では、この感覚でアプローチできる環境というのは、どういう場所でしょうか?
私はこの『環境』を、いつか立ち上げたいと思っています。
宗教のような個別の観念に縛られずに、誰でも神さまとの繋がりや縁を発展させられるような場所を。
では、そのためにはどのような環境が必要になるのか?
そのヒントは縄文時代にあると考えています。
古代というのは、神秘や見えないものとの繋がりがより密接だった時代です。
科学が発展していなかったため、そのぶん、それらとの繋がりが生死を分けることになったし、日々の幸福度にも直結していたのでしょう。
彼らは、人間同士の繋がり・目に見えるものを大切にする現代人と違って、自然とのつながりや、目に見えないものを大切にしてきました。
だからこそ、そうするのに有利な環境に、身を置いていたのではないでしょうか?
そう考えるのには理由があります。
昔の人々が記述していたもの
世界各地において、文字が現れるとともに、長らくのあいだ、目に見えない存在というのは、身近に在ることが当たり前のものとして描写され続けていました。
これらは科学が発展するに伴い、姿を消すことになります。
現代では象徴と解釈されがちなそれらですが、昔は確かに人々の営みの中に根付いていたことは間違いありません。
私はプラーナや気流を視ることができるのですが、科学的には幻覚か戯言と解釈されます。
ですが実際には、これらは陽炎のゆらぎを見るのと同じくらい自然に視えます。
子供時代はオーラも見えていました。大人になった今でも、まれに見ることができますが子供時代ほどではなくなりました。
私は思うのですが、この視覚というのは、本来の人間に備わったものなのではないか?と。現代人が飛脚のように走れないのと同じように、これというのは、現代社会で失われた能力なのではないだろうか?と思うのです。
いま科学技術が発展することで、私たちというのは常に電子音・作動音・騒音が聞こえたり、刺激に触れ続ける環境に身を置いています。
実は刺激というのは深い瞑想をする際の大敵です。
これが本来備え持った能力を鈍らせているのではないだろうか?
さらに使う機会が失われたことが、無かったとされる要因になっているのでは?と思うのです。
当時の環境を現代に再現する
とはいえ、実際にやってみなければ、仮説は仮説のままです。
こういうのは、実際に作ってみて検証してみなければ何もわかりません。
最近私は、少しでも再現してみるために、個人的に縄文時代の環境を作ろうとしています。
といっても、すっかり古代に還るのではなくて、現代の快適さはあってもいいと思っています。
現代の知恵を取り入れながら、いいとこ取りだけがしたいというわけです。
手始めに、当時の環境を模倣した瞑想用の空間を造ろうとしています。
これによって瞑想のしやすさを検証してみたいなと思っています。
といっても個人の活動なので、ありあわせだし、手作りです(笑)
だから完ぺきな環境が作れるわけではないんですよね……。
とはいえ、何もしないよりはマシだと思っています。
一緒にやりたい方いませんか?
ところで、このような活動、一緒にやりたい方いらっしゃいませんか?
興味がある方おられましたら、良ければ声を掛けてください。
もし、そういう方いらっしゃったら、まずは、ここのコメント欄に書いてくださいましたら嬉しいです。
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