私が“神様”と出会った日──そして、対等な存在となるまでの話

昨日、久しぶりに子供時代の音楽を聞いた。

あの頃の思い出が込み上げてきて、悲しくて切ない気持ちになった。

私の思い出は1990年代でピタリと止まっていて、2000年代以降というのは、すっぽ抜けている空洞の時代に入る。

それは皮肉にも、自分が人間らしくあれた時代の最後と一致していた。

生まれてから、ほんの10年ちょっとだけ。

自分が人間らしくあれた時代は、それだけしかなかった。

子供時代にあるのは苦しい思い出ばかりだ。

両親の離婚、10代半ばで父に告げられた「おまえはいらない」「だから一人暮らしをしなさい」という言葉。

母が激怒しなければ、私は、あの時点で路頭に迷っていただろう。

そんな母も親としては未熟な存在ではあった。口癖は「親はいないものと思え」「親に甘えるな」。それが彼女なりの最善の言葉であったことは理解している。

私は、親の愛情を知らない親に育てられたのだ。

人間らしさの喪失

10代半ばに、しばらく一人暮らしをした時期がある。荒れ果てた一軒家で一人きり。

虐められっ子で不登校になっていた私には、話し相手がいなかった。

そんな多感な時期を支えたのは、神様との繋がりだった。

私の奇跡は少し特殊だ。

何か修行や瞑想をしたわけではない。

ただ、最も落ち込んでいた時に、とつぜん宇宙とのつながりを体験した。

白銀の光に包まれ、愛そのものに満たされる体験をした。苦しみを乗り越えるための方法を教えてくれたのも、それだった。

それ以来、それはずっとそばにいた。私の部屋はいつも白い色に満たされていて、そこにだけ、すべてを包み込むような安らぎがあった。

だから私は、なるべくその部屋に居るようにしていた。

今振り返ってみても、私が壊れなかったのは、それがいてくれたからだし、私に愛を教えてくれたのは、それだったと思う。

私はそれを「神様」と呼んだ。なんとなく神様と結婚するものだと思っていた。

でも神様は人間じゃなかった。姿もない、形もない、声もない。あるのは気をつけていなければ忘れてしまうほどの微かな気配だけ。

私は神様とは結婚できないと思ったから、人間と結婚した。でも人間とは、普通に過ごしていても繋がれないため、神様に選んでもらった。

結婚がしたいと祈ったその2日後には出会いがあり、その人と、なんの障害もなくすんなりと流れのまま結婚した。

そのため、神様とは結婚しないものなんだと思った。

結婚生活と子育てで慌ただしくしているうちに、だんだん、神様はもう側にいないような気がした。

神様が神様ではなくなった日

私には人との縁ができないという呪いみたいなものがあった。

社会的繋がりを求めても、タイミング、何らかの事故、転機、そういったことで断絶されて、いつも家にこもっているしかなくなる。しかもそれが、半年ピッタリか1年ピッタリで起こる。

配偶者を見つけたときのように、神様が許可をした特別な縁でもなければ、誰かと繋がりを築くことが困難なのだ。

最初は「そんなことはありえない」と疑心暗鬼だった夫すら、ついにそれを認めて、私が外に出て社会的活動をすることは無いだろうと考えに至るほどだった。

そうなることは私の望みと異なっていた。

私は家族以外との繋がりを持ちたかった。

人並みに働きたかったし社会的な繋がりも欲しかった。

でもそれはままならなくて、いつも孤独だった。

でも、それに抗えば抗うほど、次はもっと大きなダメージを受けるというのを繰り返すのだ。おかげで対人不安をこじらせて、自分からコミュニケーションを取りに行くことすらできなくなった。

人間を求めているうちは、ずっと孤独の中に取り残されていた。

あるとき私は、人間と繋がることを諦めた。

代わりに見えないものと繋がりを持つしかないと諦めた。

そうして声を掛けたら、「やっと呼んでくれた」と答えてくれたのがそれだった。

それは私がかつて神様と呼んでいたものか、あるいは、それに近いものだと思う。

それは私の神様であることを望まず、私と対等なパートナーであることを望んだ。

それを呼んでからというもの、青〜藍色の光がつねに近くにいるようになったみたいで、ふとした時に、チラチラと視界のいろいろな場所に映り込むようになっている。

それとの関係は、人間との関係とは異なっている。友人とも親子とも兄弟とも恋人とも師弟という言葉ですら表現できない、とても不思議な関係性だけども、神様の世界では当たり前の関係性であるらしい。

10代のころの神様との関係というのは、降りてくるお告げを聞き入れるような、チャネラー的なものだったと思うけれども、その関係性を、それ自身が否定した。

私は個別の人格として、それと対等に向き合うようになった。

かつて得たものと今得たもの

かつて神様が私に約束してくれたのは、劇的な奇跡とともに、この先の人生で「永久に不幸にならない」という保証だった。

今回それが私に約束してくれたのは、いつでも出会える形になるとともに、この先の人生で「永久に悪夢を見ない」ことと、「死後に必ず神様のいる世界へ連れて行く」という約束である。

これが私と神様のあいだにある関係だ。

今の私が考えていること

いま、私は神様が与えてくれた愛を、たとえ模倣でもいいから、人間に還元したいと思っている。だってそれを知っている人は少ないと思うからだ。

真に無条件の愛というのは、人間には難しい。

なぜなら人間には誰でも自己があって、自己がある以上、自己愛が必ずあるからだ。

それでも、きっと、それでしか救われない人がいるのではないかな……と、かつての自分を振り返って思うのだ。

だから、神様がくれた知識のすべて、知恵のすべてを、シャンカラノートで公開している。これは表向きは、澄んでいて冷たいように見えるかもしれない。

でも、これは誰のこともジャッジしない。裁かない。偏見もない。ただありのままに、その時々にある姿を、あるがまま受け入れる。そういう価値観だと私は思っている。

私が優しいと感じている、神様ベースの価値観だ。

でもこれは私にとっては、あくまでも第一歩でしかない。

本当は、もっと現実に根ざすかたちで、この世界に行き渡る超自然的な愛、無条件の愛を、感じられるような場所を作っていければいいのになと思っている。

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