今回は、修行者向けのお話です。
禁欲系の修行をやっている人が引っかかりがちな問題と聞く、性欲について、どうやって消すか? という話でもしようかと思います。
ヨガや仙道のような、気(性エネルギー)を使う修行法を本格的にやろうと思うと、必ず禁欲がワンセットでついてきます。
でも、それが高い壁になる人が多いと伺います。
なので、無理なく我慢せず、自然と精を漏らさないようになる方法というのをここで解説します。
性欲は我慢しなくて良い
私のは、タントラのやり方が一部混ざっているっぽいので、こういう考え方になるのですが、まず性欲は無理に我慢しなくて良いものであると考えています。
というのも、精を外側に漏らさないで、オーガズムだけ得て、なおかつ性欲を昇華して気化するという方法が存在するからです。
その方法というのが、以下の手順になります。
- 物理的な刺激を与えずに集中とイメージだけでオーガズムまで行く。
- オーガズムの際に、性器部分にエネルギーの細かい強い振動を感じるので、それを排出せずに体の内側に引き込んで、胸のあたり(中丹田)まで引っ張り上げる。
これだけです。
違いは無いんじゃないの?
と思われるかもしれないけれども、通常のエネルギーを排泄するオーガズムとは異なり、疲労感は感じず、スッキリと明瞭な状態を維持したまま、性器に感じていた振動や性欲だけ消えます。
気を感じるようになるとわかるのですが、通常、性欲というのは、性器のところにエネルギーが溜まって、そこで振動しているものが、いわゆる「ムラムラ」とか、「下腹部が熱くなる」として感じられます。
この際に、直接的な刺激を与えることで体外にエネルギーを排出するというのが、通常のオーガズムという行為です。
それに対して、この方法というのはオーガズムの際のエネルギーの爆発を、内側に向けて引っ張り上げます。だから、むしろエネルギーを強めるための修行として使うことができるのです。
気の引っ張り上げが成功したかどうかは、明確に体感として違いがわかるはずです。
1が難しいと感じる場合
恐らく、まだ気の貯まりが甘くて、かつ一箇所に集中する訓練が不足していると思うので、通常の禁欲で修行を続けてください。
2が難しいと感じる場合
気のコントロールの訓練が不足していると思うので、小周天などで気を体内の好きなところに自由に動かせるように、通常の禁欲と一緒に訓練をしてください。
これを続けることで性欲は自然と静まる
性欲を感じたときにはオーガズムを引っ張り上げる。そうするのを続けるうちに、だんだんと勝手に性欲を覚える間隔が開いていきます。
やがて、性的なことに対する興味関心や、性的興奮というのが起こらなくなります。
※この際、一点だけ、注意事項がありまして、禁欲を志す際は、当たり前ではありますが、一切の性的情報を断つことは最低限必要です。
難しいと感じるかもしれませんが、性的興奮や興味が起こらない状態までいくと、そのような情報が欲しいとすら思わなくなります。
だから、おのずと情報を断つこと自体、難しくなくなるはずです。
女性の場合は、性欲自体よりも、恋愛に興味が起こらなくなるという変化の方が、より変化として強く感じやすいかもしれません。
性的に魅力的だと感じる対象が無くなり、そのようなシチュエーションに対する興味も失せます。
だから、恋愛マンガやドラマのイチャイチャを見ても心がまったく動かされず、つまらなく感じるようになるのがデメリットと言えばデメリットかもしれませんね。
性欲の枯渇とは違うの?
これは、性欲の枯渇とはまったく異なります。
というのも、エネルギー自体はある状態だからです。
このような状態になったあとでも、意識的に性器に気を集中させることで、それを精として取り戻すことは可能です。
また、性的快感も、引き続き得ようと思えば得ることができます。
ただ、特別にそうするように意図しない限りは、普段はそうではなくなるという状態になります。
しかもそれが特別な我慢や意識も必要なくなるようになります。
精を漏らさなくするメリットは?
多くの修行系に必ずワンセットでついてくる「禁欲」。
これのメリットは、ここで説明する必要性もないくらい、古今東西いろいろなところで言われています。
集中力が身につく、願望成就の力が高まる、頭が冴えるようになる、容姿が若々しく美しくなる、異性にモテるようになる……
これらは、あくまでも入口であり、修行を進めるためのエネルギーになることが精を漏らさないことの、最大のメリットとして語られます。
じゃあ、デメリットは何か?
個人的に感じる最大のデメリットは、以下だと個人的には思います。
性を必要とする人への共感力が無くなる
これは個人的な体験として感じることですが、気持ちがわからなくなることはデメリットかもしれないです。
世間的には、センシティブなものとして嫌悪するワリに、性的な喜びというものは素晴らしいものだとする風潮が強いですよね。
精を気に昇華できる状態になると、常時すっきりとした状態になります。すっきり感がデフォルトになります。
だから、性的な衝動がある状態とか、それに対する刺激というのは基本的には邪魔だと感じるようになります。
大衆に合わせる必要性に応じて、快を感じるために、わざわざ下丹田に意識を向ける必要があります。
でも、性欲が起こる体調というのは不快なものです。
そうなるから、性的な快楽が楽しみや喜びとする価値観に、まったく共感できないようになります。
あたかも、「蚊に刺されたところを掻くのって気持ちいいよね! 蚊に刺されるのって最高!」と言ってる人を見ているような気分になります。
ハッキリ言って……浮きます😅
共感できなくて、「えっ……あ、う、うん。ふうん……?」みたいなリアクションしかできなくなります。
これがデメリットだなと思ったりします。
でも逆に言えばそれくらいなので、やっぱり、欲望というものは少なければ少ないほど快適になるなあと私は感じます。
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