この世界のどこかには、たったひとつの真実がある――。
そんな気がしている人は、決して少なくはないのではないかと思います。
今回は、私が高次存在から教わった『世界の正しい姿』と、それでも個人個人の感じ方が大切な理由をお話したいと思います。
もっとも、これについては、シャンカラノートにも記述しています。
ここでは、それを、もっとゆっくりと説明したいと思います。
私は過去記事で、正しさというのは実際には曖昧なものだから、それを信念にしないほうが良いというお話をしたことがあります。
それにも関係したお話です。
一般的な世界の姿
私たちというのは、科学的に立証される普遍性や、物質という『絶対』に取り囲まれていると、誰しもが考えていると思います。
それこそが正しさであり、それこそが絶対だと思っている人が一般的ではないでしょうか?
でも、中には、それ以外の正しさも存在している。
そんな気がする人も中にはいるのではないでしょうか。
ただ、その正体が一体何なのかまで、掴みきれていない人が多数ではないでしょうか?
これは高次視点における『世界』のお話です。
世界を見ているのは誰だろう?
最初に考える必要があるのは、この視点です。
「客観性や物質を含めて、この世界を見て感じているのは誰だろう?」
それは、他ならない『自分自身』ですよね。
たとえ第三者の意見であっても、立派な科学者の言葉でも、ニュースの配信でも、この世界それ自体も。
それを見る、触れる、聞く、味わう、嗅ぐ等を通じて、感じ取っているのは『自己』です。
どういう意味か、わかりやすいように、具体的な例え話をします。
たとえば目の前に300人の人間がいたとして、彼らは口を揃えて『リンゴは赤い』と言ったとします。
さらに、リンゴ本体を見て、『リンゴ』と呼ばれる物質が『赤い』色をしていると、あなたは認識します。
では、そのときあなたが真に認識しているのは、『赤いリンゴ』という真実でしょうか?
いいえ、そうではありません。
実際には、その丸くて、つやつやとして、食べることができる物質が『リンゴ』という名前であり、その色が『赤』という名前であるという認識です。
あなたが手に触れているものは、リンゴではなく、丸くてつやつやとして、食べることができる物質です。そして、見えているのは赤ではなく、『赤』と名付けられている視覚情報です。
つまり、あなたの意識が、その物質とリンゴという名前を紐付けた。その色と赤という名前を紐付けた。
だから、あなたの世界にはリンゴがあり、赤色があるというわけです。
もし、それの名前が『ポムポム』だったら、リンゴではなくてポムポムがあなたの世界にあるということになります。
つまり、この世界の存在を担保しているのは何者かというと、外界ではありません。偉大な科学者ではありません。政治家でもありません。宗教家でもなく、他の誰でもありません。
自分自身なのです。
自己が見て触れて感じているのは何だろう?
そんな、世界というものを、ありとあらゆる現象を感知している自己が、世界であると認識しているものは何なのか?
それは『意識』です。
先の例で例えると、リンゴが赤いと感じているのも、その形状をその形状だと認識するのも意識です。
だからどうした?と思われるかもしれません。
でも、その意識が見て触れて感じるものが、いかに不安定なもので、いかに変化に富むものであるか……。
深い瞑想か、精神的な変調を体験したことがある人なら、実感として理解ができるのではないかと思います。
そうでなくても、風邪を引いてしまったときとか、機嫌のひとつで、世界の見え方とか感じ方が変わる体験をする人って、少なくないのではないでしょうか?
つまり、世界というのは実際には、自身の『意識』ひとつで、どんな形にもなりうるものなのです。
自身の外側に『絶対的な世界』があると見ている人には、わかりにくい感覚かもしれません。
そういう人は、自身の意識が変わって、見え方が切り替わっても、多数派から外れたものは、まやかしであると処理してしまうことが多いですよね。
共有できるか、共有できないか
そもそも『多数派と同じ』というのは何かというと、『他人と共有することができる』ということです。
そして、自身にしか認識できないものは何かと言うと、『他人と共有することができない』ということです。
でも実際には、私達には『共有できないもの』のほうが多いですよね。
とくに、感情や痛みのような目に見えないものなんかは、自分だけが感じるものです。
共感というものはあるけれども、それでも100%、あなたが感じたもののすべてを、そっくりそのまま、他人と共有することは、とても難しいですよね。
霊感がある人にとっては、幽霊やオーラも、その中の一部に入るかもしれません。
だからって、感じたことが存在していないわけではありません。
心や感情はもちろんのこと、たとえ現代医学では、幻覚と呼ばれるものであったとしても。
それを見て聞いて感じることで、深く傷ついたとか、心に変化があったとか、そこまでの影響力があるというのに、『無い』というのは、ちょっとヘンなんじゃないかと思うことはありませんか?
そう、それは自己という『意識』にとっては確かにあるものです。
ただ、他人と共有することができないだけで。
『世界』とは意識の感じ方である
ようするに、世界とは物理学によってだけで説明しうるものではないのです。
世界というのは、『自己意識が感じ取っているもの』です。
でも、だからこそ、普遍がないのです。
絶対的な正しさがないのです。
でも、それで良いんです。
それが『世界』だからです。
じゃあ、世界というものが『自己意識が感じ取っているもの』というなら、自己意識を変えることで、世界を変えることができるのでは?
という疑問が出たかもしれません。
答えはイエスです。
その具体的な方法も含めて、これが、高次存在が私に余すこと無く教えてくれていることだったりします。
でも、そこまで話すと別の話題になってしまうため、今回の記事はここまでにしておきます。
シャンカラノートにまとめてありますので、気になる人は、見てくださいましたらと思います。
コメントを残す